地に落ちた日本への信頼
「まさか日本がこんな対応するとは思わなかった」
台湾では、新型コロナウイルスに対する日本の対応が連日詳細に報じられており、日に日に批判的な論調が強まり、その影響は多方面に広がりを見せ始めている。冒頭の一言は、台湾に暮らす筆者が実際に台湾の人から言われたもの。よく「信頼を築くは一生、失うは一瞬」というが、今まさに、台湾の日本に対する信頼は失墜しかけている。
原因は多々あるが、中でもその大きな論議を呼んだのは、横浜に停泊するクルーズ船から下船した人たちへの対応だ。台湾で取材映像を見た筆者は、鳥肌が立った。なぜなら、台湾では数度目の検査で陽性になったことが伝えられていたからだ。実際、日本でも23日には下船後に陽性反応の出た件が報道された。
日本の取材映像を見ると、記者の中にはマスクをつけずに現場に向かう人がいたり、下船した人たちに直接インタビューしている声を聞く限りマスクをつけずに話していると思われるものもある。一方、台湾では感染者に直接取材した映像はおよそ見かけない。関連情報の取材陣は、マスクをしっかりつけ、取材を受ける側も多くはマスクをしたまま対応している。
検査で陰性と判断されたとはいえ、筆者には無防備に見えた。そのうえ、未検査の人が解放されたり、公共交通機関を利用する、あるいはそのまま帰国させる例まで出たとなると、無責任だと批判されても仕方ないだろう。今回の新型コロナウイルスでは、中国では8万に迫る罹患者がいて、2,400人以上の人の命が失われているのだ。クルーズ船だけではない。国境を越えた往来の激しい日本で、感染が全国的な広がりを見せている今、すでに対岸から火事の火元は身近にある。
日本に対するさまざまな反応
22日、公益財団法人日本台湾交流協会台北事務所から在台邦人向けにメールが届いた。その冒頭、次のようにあった。
2月22日,中央流行疫情指揮中心(中央感染症指揮センター)は,台湾衛生福利部疾病管制署のプレスリリースにおいて,日本,韓国への海外旅行感染症アドバイスを第二級(三段階のうちの第二段階)の「警示(Alert)」に引き上げ,日本,韓国の滞在時における防疫措置を強化するよう呼びかける旨発表しました。
出典:「新型コロナウイルスに関する注意喚起(台湾当局による日本,韓国への海外旅行感染症アドバイスの引き上げについて)」公益財団法人日本台湾交流協会台北事務所
つまり、台湾人が日本と韓国に旅行する際の感染症に気をつけなければいけないレベルを3段階のレベル2「警示」に引き上げた--日本への渡航に強い警戒を呼びかけたのだ(その後、韓国は24日にレベル3「警告」に引き上げられた)。
筆者は台湾に暮らしている。年に数度、帰国しており、本来なら2月13日から19日までは日本にいるはずだった。だが、2月5日の段階で取りやめた。日本各地で感染者が次々に判明する今、その判断は間違っていなかった、と感じている。3月に東京へ行くはずだった台湾人の知人も同じ判断をしたし、台湾の報道ではすでに桜シーズンの日本を楽しもうとしていた台湾人旅行客のうち、半数程度がキャンセルしたと伝えられている。
2月23日現在、台湾における新型コロナウイルスの感染者数は28例、死者は1人。中国はもとより、韓国、日本と比較してもその少なさは明らかだ。台湾では、新型コロナウイルス関連のニュースは連日トップで大きく時間を割いて扱われ、日本を含むアジアのみならず、世界的な規模での現状が伝えられている。中国・香港・マカオからの台湾への入境は2月6日から制限されている。テレビCMでは、医師自ら、マスクの着用、手洗いの励行、罹患したと認められた場合の対応などを繰り返し訴える。関連取材を行う記者は、取材対応する関係者も、マスクは鼻まで塞ぎ、戸外でない限り、着用したままだ。大型のイベントは概ね予定通り行われているが、それはひとえに感染ルートが把握されており、感染者の隔離対応が徹底されているからだ。
そのような状況にある台湾から見れば、端的に言って日本にこそ危険を感じるし、感染ルートが不明な事例もある日本が危険視されるのも、致し方ないことだ。
こんな例もある。
近年、12月から3月にかけては、日本の各種雑誌媒体が台湾旅行のガイドブック制作のため、台湾まで取材にやってくる。台湾在住のライターやカメラマン、コーディネーターは多くがこれら雑誌企画に協力し、良い記事を提供すべく取材を重ねる。
だが、現状を鑑みて、出版延期を決めた雑誌があるという。賢明な判断だ。なぜなら、このまま感染例が広がり続けるなら、警戒レベルがさらに引き上げられ、日本人の入境は拒否される事態が待っているだけだ。それに現段階で日本人がタクシーに乗車拒否された、という例も複数、耳にしている。台湾の人たちにとって、日本人の判別は比較的容易だとされる。今後、どのような展開になるかは不明だが、日本から来て、本当に旅行を楽しめる状況なのか、見極める必要があるだろう。
迅速だった台湾の対応
そこへくると、台湾における新型コロナウイルスへの対応は、極めて迅速だった。
対応策を検討する「中央感染症指揮センター」(中央流行疫情指揮中心)が設置されたのは1月20日のこと。蔡英文が総統2期目を確定させたのは同月11日の選挙だから、わずか9日後だ。そして翌1月21日、感染者が最初に台湾で見つかったと発表された。
台湾では新暦ではなく旧暦で新年を祝う習慣があり、いわゆる年末年始は旧正月で休む。暦に合わせる関係で、毎年、新年は異なるが、今年は1月24日が大晦日、25日が元旦にあたっていた。だから、大型連休で人が大きく移動する、その直前で感染者が判明したことになる。
旧正月の台湾は、基本的に家族と過ごす人が多いため、人の移動がとりわけ激しい時期にあたる。台湾内はもとより、中国大陸、海外など、さまざまに移動する。日本のお盆休みやお正月などの大型連休を想像してもらえればよい。
今回の旧正月休暇が明けたのは1月29日。週の半ばだったため、週末を挟んで、週明けからは公立学校の新学期が始まることになっていた。
ところが、新学期の始まる直前の2月2日。台湾の小学校、中学校、高校は新学期のスタートを2月25日まで繰り下げる決定が下され、指揮センターによる記者会見が行われた。1日遅れで台湾大学、台湾師範大学、台湾科技大学の3校は3月2日に新学期をスタートさせると発表した。その後、他大学も同様の措置を取ることが次々と明らかにされた。この間、学生には中国・香港・マカオへの渡航歴の確認作業が進められており、健康状態を報告するよう要請されている。
この学校の新学期延期に関して特筆すべきは、当該児童生徒のいる家庭で、両親のどちらかが子の世話のためにやむなく休暇を取得する場合、企業側が処罰や減給といった対応をしないように、と指揮センターが言及した点だ。
2月に入ってからは日本同様、市販のマスクは入手が困難になった。マスクの流通は政府の管制下に置かれることが決まり、週に一度、身分証の下ひと桁の数字が偶数か奇数かで決められた曜日に、本人がマスク2枚を受け取れるようになった。同じ時期に巷では、どこの薬局にどのくらいの在庫があるかがわかるアプリが複数の知人からシェアされていた。マスクはすでに増産体制に入っている。
休み明けに中国大陸や海外から台湾に戻ってくる前提で、感染者の隔離場所を手配し、必要な器具が準備され、人混みによる感染を極力避ける措置が迅速に整えられた。今や、指揮センターの会見は連日行われ、その対応は逐次報道されている。
これら対応は、在台の日本人である私には、台湾外交部から大使館にあたる日本台湾交流協会を通じて逐次、連絡事項が届く。台湾政府の本気度が、外国人の筆者にも伝わってくる。
不要不急の外出は減ったが、とはいえ社会活動すべてをなくすわけにはいかない。街中では、建物や密閉された空間では皆がマスクをつけ、入り口では消毒と体温計測が行われている。「手を洗おう」と行く先々で声をかけるようになったし、「マスクは足りてる?」というやりとりもあり、誰もが互いの状況を気遣っている。
活かされているSARSの経験
こうして台湾が一気に、かつ迅速に対応することができたのには、日本には決定的に欠けた経験があるからだ。
2003年に起きたSARS(重症急性呼吸器症候群)である。台湾ではSARSの可能性例674人、死亡は84人を出した(数字は行政院報告書による)。当時、院内感染が認められた病院は政治的判断によって封鎖され、帰宅していた医療関係者も感染の有無を知るためと病院へ戻るよう指示され、大きな物議を醸し、その後も係争が長い間続いた。
今回は、隔離の専門機関の指定、移動方法、教育機関とその家族への周知、メディアによる情報提供、企業活動への影響、個々人の行動にまで目配りが利いている。台湾の人に「日本は大丈夫なのか」と繰り返し聞かれるが、残念ながら筆者には胸を張って「大丈夫」とは答えられない。
刻一刻と事態は変化している。SARSを遥かに超える罹患数・死亡者数の報告がある今、一人ひとりの意識を変え、自分の身をどう守るかを本気で考える時期にあるのではないか。
筆者が日本で会社員だった頃、風邪やインフルエンザでも職場に向かう人を見てきた。今回、新型コロナウイルスの初期症状は風邪に似ているという。仕事の締め切りや予定していたイベントの実施も大切だが、事は症状のある本人だけに終わらない。周りまで巻き込むことになる。台湾ではすでに、収束は気温の上昇する夏まで難しいという指摘もなされている。
ともかく、一刻も早い事態の収束と、罹患者の皆様の治癒を祈りつつ、台湾の信頼回復に向けて、何をすべきか考えていきたい。
原文出處 https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakamiho/20200226-00164588/
作者 田中美帆 簡介 : 1973年愛媛県生まれ。創価大学文学部日本語日本文学科卒業。16年半の出版社勤務を経て2013年、台湾大学語文中心に語学留学。翌年、台湾人と国際結婚。2016年、上阪徹のブックライター塾3期修了。台湾での仕事に、エバー航空機内誌『enVoyage』編集のほか、雑誌『& Premium』コラム「台湾ブックナビ」執筆、台湾ドキュメンタリー『回郷』字幕校正など。